マジック・ジョンソンやカリーム・アブドゥル・ジャバー、アイザイア・トーマスと言ったタレント揃いの1980年代。
その中でも一際、異彩を放っていたのがボストン・セルティックスのレジェンド、ラリー・バードです。
今回は、現役時代から”伝説(Legend)”と呼ばれたバードの歴史について振り返ってみようと思います。
ラリー・バード(Larry Bird)
項目 | 詳細 |
国 | アメリカ合衆国 |
出身 | インディアナ州立大学 |
ドラフト | 1978年 6位 |
所属チーム | 1978-1992 ボストン・セルティックス |
ポジション | SF(スモールフォワード) |
身長 | 206cm |
正確無比なシュートとゲームメイク
バードは歴代屈指の中・長距離シュートの名手であるとともに、試合の流れを読む分析力も非常に優れていました。
シュート力に関しては、利き手とは反対の左手でも問題なくシュートを決められるほどの技術を持っており、またそのハンドリング技術はパスやドリブルにも生きました。
一方で身体能力は平均よりも低めで、特に跳躍力が乏しく、206cmの長身でありながらダンクシュートは助走を必要としました。
ライバルも認める勝負強さ
バードの勝負強さも、歴史に名を残すプレイヤーと遜色ないものでした。
バード擁するセルティックスのライバルチームであった、ロサンゼルス・レイカーズの名将パット・ライリーHCに「もし試合を決める場面でシュートを任せるならば(マイケル・)ジョーダンを選ぶが、自分の生死を賭けた場面ならバードを選ぶ。」と言わせるほどでした。
豊富な実績
3年連続シーズンMVPをはじめ、3度のNBAチャンピオン、2度のファイナルMVP、9度のオールNBA1stチームといった数々の実績を残しています。
栄華を極めた選手生活
1980年代、セルティックスを3度のNBAチャンピオンに導いたバードの選手生活はどんなものだったのでしょうか?
キャリア初期から貢献
1年目の1979-80シーズンから、バードはチームに貢献することとなりました。
前シーズンで29勝53敗だったセルティックスを61勝21敗まで引き伸ばしたバードは、新人王とオールNBA1stチームに選出されます。
さらに2年目にはシーズンを62勝20敗で終えると、プレイオフではNBAファイナルまで進出。
ファイナルではヒューストン・ロケッツを4勝2敗で下し、自身初のNBAチャンピオンに輝きました。
3年連続MVPとレイカーズとのチャンピオン争い
1983-84シーズン、自身初のシーズンMVPを獲得したバードとセルティックスは、NBAファイナルまで進出します。
そこで待ち受けていたのが、マジック・ジョンソン擁するロサンゼルス・レイカーズでした。
全米が注目した対決は、第7戦までもつれる激戦に。
第7戦はバードに限らずセルティックスの様々な選手の活躍によって、セルティックスが勝利、バードは自身2度目のNBAチャンピオンに輝くとともに、自身初のファイナルMVPを受賞しました。
1984-85シーズンをセルティックスは63勝19敗で終えると、バードは2年連続のシーズンMVPに受賞されます。
この年もNBAファイナルまで進んだセルティックスを待ち受けていたのはレイカーズで、2年連続の対決が実現します。
しかし雪辱に燃えるレイカーズに最後は敗れ、2勝4敗でNBAチャンピオンを逃すこととなります。
1985-86シーズンもシーズンMVPを受賞したバードは、ビル・ラッセル、ウィルト・チェンバレンに次ぐ史上3人目の3年連続シーズンMVP受賞者となると、プレイオフでも快進撃を続けまたもやNBAファイナルへ進出します。
NBAファイナルではロケッツを4勝2敗で下し、自身3度目のNBAチャンピオンと2度目のファイナルMVPを受賞します。
1986-87シーズン、4年連続のシーズンMVPは逃したバードだったものの、この年もNBAファイナルへ進出、そして3度目となるレイカーズとの対戦となりました。
1勝2敗で迎えた第4戦、第4クォーター残り2秒で逆転され王手をかけられると、第5戦は大勝しつつも第6戦に敗れ、NBAチャンピオンを逃してしまいました。
そしてこれがバードの最後のNBAファイナルとなりました。
背中の痛みに苦しんだキャリア終盤
1990-91シーズン、プロ入り後から発症していた背中の痛みが悪化し、平均得点も急降下します。
手術を行ったものの、1991-92シーズンも痛みが引くことはなく、プレイオフのカンファレンスセミファイナルでクリーブランド・キャバリアーズに3勝4敗で敗れ、シーズンを終えます。
その後、夏に行われたバルセロナ・オリンピックに出場したのち引退を表明、自身の輝かしい選手生活に終止符を打ちました。
名言集
バードは選手生活の中で、様々な名言を残しています。
そのいくつかをご紹介しましょう。
「誰が2番になるか考えているんだ」
1986年に出場したスリーポイントシュートコンテストで、出場者を見た後に放った言葉。
この後、バードは見事に優勝を果たしています。
「君たちは準優勝するためにここに来た。優勝するのは俺だから。」
翌年のスリーポイントシュートコンテストで、出場者たちに放った言葉。
そして2年連続でスリーポイントシュートコンテストを制しました。
「今回は何も言わない。誰が優勝するか知っているから。」
さらに翌年のスリーポイントシュートコンテストで放った言葉。
もちろん優勝し、3年連続でスリーポイントシュートコンテストを制しています。
「俺にガードを付けなければ、60点取ってしまう。」
ピストンズ戦、リーグ屈指のディフェンダーであるデニス・ロッドマンがバードのディフェンスをしていたが、バードはチームメイトに何度もボールを要求。
4本連続でショットを決めた後に、ピストンズのコーチに向かって言い放った言葉。
「俺はここでパスを受け、お前の真正面でシュートを決める。」
シアトル・スーパーソニックス戦、同点で迎えた試合終盤に、バードをガードしていたザビエル・マクダニエルに言い放った言葉。
この後、宣言通りシュートを決めてみせると「2秒も残すつもりはなかった(ブザービートを狙っていた)。」と言いました。
豆知識
ラリー・バード・ルール
サラリーキャップ制を導入しているNBAにおいて、ロスターの選手が一定年数以上チームに所属していればサラリー総額の上限を超過できる「ラリー・バード・ルール(ラリー・バード例外条項)」が適用されています。
Twitterバードの旧称
Twitterで見られる鳥の旧称は「ラリー・バード」であり、社員のなかにバードが好きな人が居たから名付けられたのだそうです。