20年以上にわたってサンアントニオ・スパーズは、プレイオフに進出し、多くの勝利を積み上げてきました。
そして多くの人々に言われた言葉が”常勝軍団”。
今回は、その常勝軍団を作り上げた立役者とも言えるティム・ダンカンについて振り返ってみたいと思います。
目次
ティム・ダンカン(Tim Duncan)
項目 | 詳細 |
国 | アメリカ |
出身 | ウェイク・フォレスト大学 |
ドラフト | 1997年 1位 |
所属チーム | 1997-2016 サンアントニオ・スパーズ |
ポジション | PF/C (パワーフォワード/センター) |
身長 | 2m11cm |
▼ティム・ダンカンのキャリアトップ10プレイ!!▼
極められた基本のプレイ
ダンカンを「派手」と思う人はいないでしょう。
なぜなら彼は、基本の動きに忠実であるからです。
しかし極限まで高められたその動きは止められず、結果として安定感を生み出しました。
そんな彼のプレイは、良い意味で「地味」「つまらない」と言われ、”The Big Fundamental ”(ザ・ビッグ・ファンダメンタル)の名前が付けられるほどでした。
チームに影響を与えた鉄壁の守備
高い身体能力こそないものの、高いスキルを備えたダンカンの最大の武器は「ディフェンス」でした。
デビューから2010年まで、13年間に渡りNBAオールディフェンシブチームに選出されるほどの守備は、スパーズのチームスタイルに影響を与えました。
自己犠牲をいとわないプレイスタイル
これほどの実力を備えたダンカンですが、さらに素晴らしいのは「自己犠牲」の精神にあり、それは多くのチームが求める理想のものでした。
決して目立つプレイはせず、チームを第一に動く姿は多くの人々に好かれました。
その精神力は、異常なまでに強く、リーグでも有名なトラッシュトーカーであるドレイモンド・グリーンですら「トークを仕掛けても反応がなさすぎて諦める」ほどのものでした。
史上最高のパワーフォワード
同じポジションで「実力」なら彼より優れた選手はいますが、「実績」では彼より優れた選手はいないでしょう。
NBAチャンピオンは5回、シーズンMVPは2回、オールスター出場は15回に登り、新人王も獲得しています。
もちろん実績はまだまだありますが、同世代のケビン・ガーネットやダーク・ノビツキーらを抑えて8年連続でオールNBA1stチームに選出されたこと、カール・マローンを指導していたジェリー・スローンHCや、数多くのNBAチャンピオンに輝いたビル・ラッセルですら「史上最高のパワーフォワード」と評価するほどの選手なのです。
スパーズ一筋のキャリア
ドラフト1位指名での入団
ダンカンはNBA入りする前から期待されており、1位指名はほぼ確実でした。
そして1位指名権を見事に引き当てたのがスパーズであり、ダンカンのキャリアはここからスタートしました。
スパーズには2m16cmのスター選手のデビッド・ロビンソンがおり、彼とともに”ツインタワー”と呼ばれる強力なビッグマンデュオを組むこととなりました。
1年目からスターの仲間入り
ダンカンのデビュー戦は圧巻で、15得点10リバウンド2ブロックのダブルダブルを達成します。
その後も連日ダブルダブルを重ね、月間新人賞を独占すると、オールスターゲームにも選出、挙句の果てには新人でオールNBA1stチームに選出されるラリー・バード以来の快挙を成し遂げるなど、文句なしの活躍をみせました。
1度目のNBAチャンピオン
ダンカンにとって2年目となる1998-99シーズンは、ロックアウトの影響で試合数が減ったものの、プレイ出場を果たしました。
ファーストラウンドではケビン・ガーネット擁するミネソタ・ティンバーウルブズを、カンファレンスセミファイナルではコービー・ブライアントやシャキール・オニール擁するロサンゼルス・レイカーズをスウィープで下すなどし、ファイナルまで上り詰めます。
ファイナルでは第8シードから上がってきたニューヨーク・ニックスとの対決を4勝1敗で制し、ダンカンにとっても、スパーズにとっても初のNBAチャンピオンに輝きました。
さらにダンカンはファイナルMVPを受賞するなど、チームに大いに貢献しました。
2度目のNBAチャンピオンとチームのエースへ
2002-03シーズン、若手、中堅、ベテランと、バランスの取れたスパーズは圧倒的な強さでファイナルまで進むと、スパーズが王手をかけた6戦目でダンカンは21得点20リバウンド10アシスト8ブロックのあわやクアドルプル・ダブルの活躍をみせ、2度目のNBAチャンピオンとファイナルMVPに輝きました。
この優勝でコンビを組んできたロビンソンは引退、ダンカンがエースの座を次ぐこととなりました。
3度目のNBAチャンピオンと真のエースへ
2004-05シーズンにファイナルへ出場したダンカンとスパーズは、対戦相手のピストンズと激戦を繰り広げ、第7戦までもつれる展開となりました。
第7戦でダンカンは第3クォーターだけで15得点を挙げる活躍をみせ、見事3度目のNBAチャンピオンに輝くとともに、史上4人目となる3度目のファイナルMVPにも輝きました。
このファイナルで平均20.6点14.1リバウンドの成績を残したダンカンを、スパーズのグレッグ・ポポヴィッチHCは「ティミー(ダンカンの愛称)の完璧な試合運びは基本的で、目立たない。しかし彼は私達を優勝させた原動力だった。」とコメント。
また、ダンカンとマッチアップしたベン・ウォーレスも「偉大な選手がそうしたように、彼もチームを背負ってチャンピオンに導いた。」と称賛しました。
4度目のNBAチャンピオンと変化
2006-07シーズンも圧倒的な活躍をみせたダンカンとスパーズはファイナルへ進出。
ファイナルではレブロン・ジェームズ擁するクリーブランド・キャバリアーズとの対戦だったものの、戦力、経験で完全にスパーズが上回り4勝0敗で4度目のNBAチャンピオンに輝きます。
そしてダンカンは初めてファイナルMVPを逃すこととなりましたが、これがダンカンの素晴らしさを表すものとなりました。
ポポヴィッチHCは「彼の周りには色々な世代がいるが、ダンカンは全てを受け入れた。そして彼の基本的なプレイは、周りの皆も適応しやすかった。」と、ダンカンのチームを第一に考えた精神を称賛しました。
雪辱を果たす5度目のNBAチャンピオン
2012-13シーズン、ファイナルへ進出を決めたダンカンとスパーズは、レブロン、ドウェイン・ウェイド、クリス・ボッシュ擁するマイアミ・ヒートと激突します。
第7戦までもつれる激戦も惜しくも敗れ、ダンカンは勝負どころでショットを決められず、珍しく感情をあらわにして悔しがりました。
ダンカンはこの初のファイナル敗退を「生涯忘れることはない」と語るほどのものでした。
そしてリベンジに燃える2013-14シーズン、再びファイナルでヒートと激突すると、圧倒的な強さでヒートをねじ伏せ、4勝1敗で5度目のNBAチャンピオンに輝きました。
数多くの記録と引退
5度目のNBAチャンピオン後、ファイナルに進出することは叶いませんでしたが、ダンカン自身は数多くの記録を更新しました。
通算リバウンドは歴代6位、通算試合数は歴代7位、通算得点は歴代14位などの記録を残したダンカンは、2016年7月11日に引退を表明、19年間をスパーズに捧げ選手生活に終止符を打ちました。
2016年11月16日にダンカンの着用していた背番号「21」を永久欠番にすることが発表され、2016年12月18日に永久欠番セレモニーが盛大に行われました。
エピソード
欠場理由が前代未聞
NBAでは時折、選手の休養のために欠場をさせる場合がありますが、その場合はたいてい適当な怪我をでっち上げます。
しかしあるときダンカンが欠場する際、その理由が前代未聞の”old”(年齢による衰え)とされ、それを伝えられたダンカンは苦笑いでベンチから試合を見ていました。
嫌いな選手は・・・
懐の大きいダンカンにも嫌いな選手がいるようで、それがケビン・ガーネットだそうです。
理由は「いつもトラッシュトークを仕掛けてくるから」で、無表情のダンカンでも、内心ものすごく嫌がっていたことがわかります。