みなさんが思い浮かべる2000年代のスーパースターは誰でしょうか?
マイケル・ジョーダンという大きな存在が引退したのちの、この時代・・・
そこには圧倒的な実力と支配力でリーグのトップスターに上り詰めた一人の選手がいました。
そう、コービー・ブライアントです。
”ブラックマンバ”(世界で最も危険な猛毒ヘビの一種)や、”ネクスト・ジョーダン”と呼ばるほどのコービーはNBAにどれだけの影響を与えたのでしょうか?
今回はそんなコービーの歴史を見ていきましょう。
目次
コービー・ブライアント(Kobe Bryant)
項目 | 詳細 |
国 | アメリカ合衆国 |
出身 | ローワー・メリオン高校 |
ドラフト | 1996年 13位 |
所属チーム | 1996-2016 ロサンゼルス・レイカーズ |
ポジション | SG(シューティングガード) |
身長 | 198cm |
▼コービー・ブライアントのキャリアベストプレイ!!▼
ジョーダンの後継者
コービーは”バスケットボールの神様”と呼ばれるマイケル・ジョーダンの後継者と言われることが多いです。
その理由は様々で、例えばプレイスタイルが似ている点があります。
また実績も豊富であり、負けず嫌いであることも類似しています。
さらにジョーダン自身からもコービーを後継者として指名しているため、その実力は本物というほかありません。
数々の実績
コービーが挙げた実績は数知れず、まさにレジェンドにふさわしい活躍をしています。
NBAチャンピオンに5回輝き、オールスターゲームにはNBA記録となる18年連続出場、レギュラーシーズン通算得点は歴代3位など、素晴らしい実績を誇っています。
その多くが得点に関するもので、コービーは歴代でも屈指のスコアラーでした。
レイカーズでの軌跡
コービーは入団から引退まで、全てをロサンゼルス・レイカーズに尽くしてきました。
そんな彼がレイカーズで残した軌跡を振り返ってみましょう。
全体13位での指名
NBAのスーパースターの誕生は、まさかの13位指名という少し意外なところからでした。
それも当時は、シャーロット・ホーネッツが指名していました。
しかしコービーは「レイカーズに入団できないなら、デューク大に行く。」と言い、結局レイカーズにトレードされることとなりました。
史上最年少でオールスター&スターター出場
2年目のコービーは既に才能を見せ始めており、ファンからの人気もとても高いものでした。
NBAのオールスターファン投票でブライアントは史上最年少で選出、さらにはスターターに選ばれるという前代未聞の出来事が起こりました。
黄金時代の到来
レイカーズのヘッドコーチが、かつてシカゴ・ブルズを2度も3連覇に導いたフィル・ジャクソンに代わると、そこからレイカーズの黄金時代が始まります。
1999-00シーズンのファイナル、コービーは第2戦で足首を捻挫してしまいます。
ターニングポイントとなった第4戦では、怪我が完治していないにもかかわらず強行出場しオーバータイムの激戦を制すと、その後も勝利を重ね初のNBAチャンピオンに輝きます。
2000-01シーズンはプレイオフでカンファレンス決勝まで全勝すると、ファイナルではアレン・アイバーソン率いるフィラデルフィア・セブンティシクサーズとの対決となります。
そしてこれを制し連覇を達成します。
3連覇を狙う2001-02シーズンも好調を維持し、ファイナルではジェイソン・キッド率いるニュージャージー・ネッツを4戦全勝で下し、見事に3連覇を達成しました。
1試合81得点
コービーが達成した記録の中でも一際目につくのが1試合81得点です。
2006年1月26日のトロント・ラプターズ戦でコービーは一人で81得点を挙げました。
1試合81得点は歴代2位であり、まさにコービーが当時のNBAのナンバーワンプレイヤーであることを象徴するものとなりました。
▼歴代2位の1試合81得点!!▼
ブライアントとファンの不満
3連覇以降、レイカーズはチャンピオンの座から遠ざかっており、コービー自身もファンも不満が募っていました。
コービーはチームにトレードを要求、ファンは身勝手なコービーを快く思わないなど、コービーを取り巻く状況は日に日に悪化していきました。
再び連覇へ
2008-09シーズンはチーム戦力の改善もあり、再びNBAチャンピオンの座が近づいてきました。
ファイナルではオーランド・マジックを4勝1敗で下し、7年ぶりのNBAチャンピオン、そしてコービー自身初のファイナルMVPを獲得します。
2009-10シーズンはファイナルで当時もう一つの優勝候補であったボストン・セルティックスとの対戦となります。
第7戦までもつれ込んだ激戦は、第4クォーターでコービーが大活躍を魅せ勝利、連覇を達成すると共に2年連続のファイナルMVPにも輝きました。
年齢による衰え
5度のNBAチャンピオンに輝いたコービーでも、年齢による衰えは明らかに出ていました。
特に怪我が増え、パフォーマンスの低下も著しくなってきました。
2012-13シーズンにはスティーブ・ナッシュ、ドワイト・ハワード、パウ・ガソルを含めた「プレミア4」を結成しますが、期待に反してプレイオフでは1回戦敗退と、限界も近くなってきました。
最後のシーズン
2015年11月29日、コービーは2015-16シーズンを最後に引退することを表明します。
2016年1月21日には、オールスターファン投票で2位と圧倒的な差をつけ18年連続のオールスター出場が決定します。
そして迎えた2016年4月13日、レギュラーシーズン最終戦であるユタ・ジャズ戦がコービーの引退試合となりました。
10点を追いかける第4クォーター終盤、コービーは一人で連続13得点を挙げ、チームを逆転勝利に導きました。
コービーはその試合で60得点を記録、輝かしい選手生活を最高の形で締めくくりました。
▼引退試合で60得点!!▼
その他
引退後
2017年9月12日にレイカーズはコービーが現役時代に付けていた背番号の「8」と「24」を永久欠番にしました。
また、コービー自身は、2018年3月4日にアカデミー短編アニメ賞を受賞しました。
シャックとの不仲説
元チームメイトのシャキール・オニールとの不仲説は有名で、コービーの人気が伸びてきた1998-99シーズンから始まっていました。
3連覇時代のファイナルMVPが全てシャックだったこと、コービーのプレイが自分勝手だったことなどが影響していました。
最終的には、シャックがチームを去った5年後、再びNBAチャンピオンの座に輝いたコービーの実力をシャックが認め、和解する形となりました。
コービーの由来
コービー・ブライアントのファーストネームである「コービー」は、実は日本の「神戸」からきています。
コービーの父親がお気に入りのレストランである「Kobe Steak House(神戸ステーキハウス)」に妻と行った際、「神戸(KOBE)」の名前の由来が気に入り、両親が付けたと言われています。
コービーは初来日した1998年に、自身の名前の由来となった神戸を訪れています。
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