【NBAヒストリー Vol.10】”NBAの異端児” アレン・アイバーソン

(引用元:wallpapersqq.net)

1990年代後半から、2000年代前半にかけ、NBAで一人の異端児が躍動しました。

 

その男の名は、アレン・アイバーソン

 

1年目から数々の問題行動や、コーンロウの髪型や多くのタトゥーといった奇抜な見た目で絶大なインパクトを残すだけでなく、歴代屈指のスキルと身体能力を生かしてスーパースターの道を突き進みました。

 

今回は、そんな偉大なシューティングガードの一人である、アイバーソンの歴史を振り返っていきましょう。

 

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アレン・アイバーソン(Allen Iverson)

(引用元:thesportsquotient.com)

アメリカ合衆国
出身 ジョージタウン大学
ドラフト 1996年 1位
所属チーム 1996-2006 フィラデルフィア・76ers

2006-2008 デンバー・ナゲッツ

2008-2009 デトロイト・ピストンズ

2009 メンフィス・グリズリーズ

2009-2010 フィラデルフィア・76ers

ポジション PG/SG(ポイントガード/シューティングガード)
身長 183cm

 

低身長と驚異の身体能力

アイバーソンの特徴の一つとして挙げられるのが、NBAでは極めて低いとされる183cmの身長です。

 

ですが身体能力は誰よりも突出しており、相手のディフェンスお構いなしにダンクを決めることもありました。

 

その身体能力は自身の低身長を補って余りあるものであり、MVPに1回、得点王には4回、スティール王には3回輝くなど、まさにスーパースターと呼ぶにふさわしい活躍を残しました。

 

▼アレン・アイバーソンのキャリアトップ10ダンク!▼

 


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最強の武器”キラークロスオーバー”

アイバーソンの代名詞とも言われるのが、クロスオーバードリブルの強烈なキレから呼ばれた”キラークロスオーバー”です。

 

それはあのマイケル・ジョーダンすら翻弄するものであり、止めるのは至難の業とも言えました。

 

アイバーソンの高い得点力の秘訣は、このクロスオーバーにあったと言っても過言ではないでしょう。

 

▼アレン・アイバーソンのクロスオーバー集!▼

 

異端児と呼ばれる理由

アイバーソンが異端児と呼ばれる理由は、リーグも手を焼くほどの問題児であり、奇抜なファッションで多くの若者影響を与えたからです。

 

1年目であっても全盛期のマイケル・ジョーダンを相手に一歩も引かず、「ジョーダンであっても尊敬しない」という発言をして物議を醸すなど、非常に強いメンタルの持ち主でもありました。

 

ただその強いメンタルがあるからこそ、アイバーソンがレジェンド級まで上り詰めたのは、言うまでもない事実です。

 


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栄華の76ers時代と落ち着いた後期

(引用元:nba.com)

アイバーソンの選手生活は、前半と後半で大きく異なるものでした。

 

栄華を極めた76ers時代と、その後の落ち着いた後期を振り返ってみましょう。

 

76ers時代

1996年のNBAドラフトで全体1位指名を受けるとともに、史上最も身長が低い1位指名選手として、注目を集めました。

 

実際にルーキーイヤーは、平均23.5得点7.5アシストの好成績や、5試合連続の40得点超えなどドラフト1位の名に恥じない活躍を魅せ、新人王とオールルーキー1stチームに輝きました。

 

3年目の1998-99シーズンにはリーグトップの平均26.8得点を記録し、自身初の得点王とともにNBA史上最も身長の低い得点王となりました。

 

5年目の2000-01シーズンは、アイバーソンにとって最大のチャンスとなった年でした。

 

レギュラーシーズンでは平均31.1得点を記録して得点王に、さらにはスティール王にも輝き、オールスターMVPやシーズンMVPも受賞しました。

 

プレイオフに入ってもその勢いは衰えることを知らず、自身初のカンファレンスファイナルではミルウォーキー・バックスと第7戦までもつれる死闘の末、見事に勝利を収めNBAファイナルまで上り詰めました。

 

しかしNBAファイナルでは、コービー・ブライアントシャキール・オニールを擁する当時最強のロサンゼルス・レイカーズに歯が立たず、1勝4敗で悔し涙を飲む結果となってしまいました。

 

そしてアイバーソンにとっては、これが最初で最後のカンファレンスファイナル以上の成績となりました。

 

ただアイバーソンの個人成績に関しては常に高い状態をキープしており、2001-02シーズンには2年連続の得点王とスティール王に、2004-05シーズンには史上3人目となる4度目の得点王に、2005-06シーズンにはキャリアハイの平均33.0得点を記録するなど、常にチームに貢献し続けました。

 

しかしチームの成績は徐々に悪化し、再建を迫られたフロントの判断で、2006年12月にアイバーソンはデンバー・ナゲッツへトレードされることとなり、10年間親しんだ76ersに別れを告げることとなりました。

 


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後期

ナゲッツ移籍後のアイバーソンはこれまで通りの高い得点力を発揮することに苦しみながらも、2007-08シーズンには平均26.4得点を記録しました。

 

しかしチームはプレイオフのファーストラウンドで、第1シードのロサンゼルス・レイカーズにスウィープ負けを喫し、アイバーソンは再びトレードでデトロイト・ピストンズに放出されることになります。

 

ピストンズに移籍したアイバーソンでしたが、2008-09シーズンにチームの成績はこれまで以上に下降し、アイバーソンは腰を強打したことで一足先にシーズンを終えることとなります。

 

2009年9月にメンフィス・グリズリーズと契約を結ぶも、「個人的な理由」をもとにチームから離脱し、2009年11月16日に退団、2009年11月25日に引退を表明しました。

 

ところがその約1週間後、76ersの代表者と話し合ったことで現役復帰を決め、2009年12月2日に76ersと1年契約で正式に現役復帰しました。

 

契約会見では涙を流しながらも「チームの勝利に貢献できれば満足だ」と語り、76ersへの復帰を喜びました。

 

シーズンを終えた2010年にNBAでアイバーソンと契約を結ぶチームは現れず、アイバーソンはトルコリーグのベシクタシュと2年契約を結びましたが、わずか1年でチームを退団しました。

 

そして2013年10月30日には正式に引退を表明し、選手生活に終止符を打つこととなりました。

 

引退後

2014年3月1日に76ers時代の背番号「3」が永久欠番に、2016年9月9日にバスケットボール殿堂入りを果たしました。

 

 

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