シーズンMVPに輝き、15回のオールNBAに選出され、18回のオールスターゲームに出場するためには、歴代最高クラスの才能が必要でしょうか?
ロサンゼルス・レイカーズのレジェンドであるコービー・ブライアントは、まさにそれを成し遂げた選手です。
しかし、レイカーズで長年の間トレーナーを務め、数年前に身を引いたゲイリー・ヴィッティ氏は、これらの実績を達成するために、それほど偉大な才能が必要とは考えていません。
『CNBC』のエリザベス・グラビエ氏によれば、自叙伝を発表する予定があるヴィッティ氏は、コービーの才能について次のように語りました。
「彼は才能があったが、最も才能のある男ではないと言ったらどうだろうか?いいか、私は全てを経験している。そしてコービーに本当に特別なものは何も無いんだ。何と言うか、彼は大きな男だったけど、それほど大きな男ではなかった。彼は機敏だったが、それほど機敏ではなかった。速かったけど、それほど速くもなかった。パワフルだったけど、それほどパワフルでもなかった。つまり、彼よりも才能のある選手が、他にも居たんだよ。才能のある選手がチャンピオンリングを持たず、彼が5つ持っていたからといって、それが何だと言うんだ?」
「彼は自分の辞書にある”出来ない”とか”やらない”という言葉に打たれ強く、ただ出来ると信じていた。コービーは、才能が人生で最も過大評価されていることであり、自分の才能で何をするのか教えてくれたんだ」
ヴィッティ氏の言葉は、非常に深いものでしょう。
何を以て”才能”と呼べるのか――人々は、チャンピオンリングの個数や、スタッツの良し悪しで才能を判断しがちです。
コービーよりもリングの数が少なければ、才能が無いのでしょうか?
コービーよりも特別なものがあれば、才能があるのでしょうか?
もちろんコービーにも才能があったことは確かですが、ヴィッティ氏が語っていたように「出来ると信じる」ことの方が大切なようにも感じます。
少なくともコービーは、才能以上の何かで成功を収めてきたはずです。