たとえバスケットボールのルールを知らなくても、マイケル・ジョーダンの名前を聞いたことがある人はたくさんいるのではないでしょうか?
別名”バスケットボールの神様”と呼ばれるジョーダンですが、一体どうしたらそんなに仰々しい名前がつくのでしょうか。
ということで今回は、バスケットボールで最も有名と言っても過言では無い、マイケル・ジョーダンの歴史についてご紹介します!
目次
マイケル・ジョーダン(Michael Jordan)
項目 | 詳細 |
国 | アメリカ合衆国 |
出身 | ノースカロライナ大学 |
ドラフト | 1984年 3位 |
所属チーム | 1984-1993 シカゴ・ブルズ
1995-1998 シカゴ・ブルズ 2001-2003 ワシントン・ウィザーズ |
ポジション | SG(シューティングガード) |
身長 | 198cm |
滞空時間を生かした得点力
ジョーダンの滞空時間は、他のプレイヤーよりずば抜けており、それを活かしたレイアップやジャンプシュートで得点を量産しました。
ボールハンドリングにも長けており、早いムーブでディフェンダーを置き去りにすることも出来ます。
その一方でスリーポイントシュートの精度が悪く、1990年のスリーポイントシュートコンテストでは歴代最小の5本という記録を打ち立てています。
リーグ屈指のディフェンス力
ジョーダンはオフェンスに限らず、ディフェンスもリーグを代表するトッププレイヤーでした。
実際にオールNBAディフェンシブ1stチームに9回選出されており、1960年代のNBAを牽引したジェリー・ウェストも「ジョーダンのディフェンス能力は、オフェンス以上に強烈だった。」と賞賛するほどでした。
数え切れない実績
ジョーダンは15年間で得点王10回、シーズンMVP5回、ファイナルMVP6回、スティール王3回など、その他多くの実績を残してきました。
通算成績の平均30.12得点は歴代1位で、驚異的な得点力の持ち主であったことがわかります。
また、1984年と1992年にはオリンピックで金メダルを獲得しています。
2度のスリーピート
スリーピートとはNBAチャンピオン3連覇のことで、これをやってのけるには相当なチームの強さと安定が求められます。
それでもジョーダンはチームリーダーとして、1990-1991シーズンから1992-1993シーズン、1994-1995シーズンから1996-1997シーズンまでの計6回でNBAチャンピオンに輝いています。
NBA史上シーズン最多勝
1995-1996シーズンに72勝10敗という記録で、NBA史上シーズン最多勝を挙げ、史上最強のチームであることを見せつけました。
もちろんこの年もNBAチャンピオンに輝いており、まさにブルズとジョーダンの黄金時代と呼べるものでした。
3度の引退
1度目の引退
1度目の3連覇後に引退を表明したジョーダンは、1993年10月の会見で「もはや証明するものはない。」と述べ、NBAから姿を消します。
以降はMLB(メジャーリーグベースボール)に転向しましたが、球団とジョーダンの関係悪化から、ジョーダンは1995年3月に再びNBAに復帰しました。
2度目の引退
1997-1998シーズンにヘッドコーチのフィル・ジャクソンの退任の噂や、チームメイトのスコッティ・ピッペンの経営陣との関係悪化が進み、ジョーダン自身は「ジャクソンHCとピッペンが辞めるなら自分も辞める。」と明言しました。
このシーズンで2度目の3連覇を果たしたジョーダンは、1993年1月13日に2度目の引退を表明し、再びNBAから姿を消すことになります。
しかしNHL(ナショナルホッケーリーグ)のマリオ・ルミューの活躍をみたジョーダンは、低迷するワシントン・ウィザーズのため、2001年に再び復帰を果たしました。
3度目の引退
2002-2003シーズンには史上唯一の40歳で40得点や、オールスターゲームで試合終了間際のフェイダウェイシュートなど多くのファンを再び魅了しました。
しかし目標であったウィザーズのプレイオフを叶えることが出来ず、40歳を超え限界を迎えたジョーダンは3度目の引退を表明し、選手生活を終えることとなりました。
引退後
2009年にバスケットボール殿堂入りを果たしたジョーダンは、2010年にシャーロット・ボブキャッツ(現シャーロット・ホーネッツ)を買収し、同チームの筆頭オーナーを務めています。
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