NBAのレジェンドである41歳のコービー・ブライアントや、彼の13歳の娘であるジアナを含めた計9人が、カリフォルニア州カラバサスで起きたヘリコプター墜落事故により命を落とし、NBAに限らず全世界に計り知れないショックを与えました。
ブライアントはロサンゼルス・レイカーズで20年間に渡ってプレイし、歴代通算4位となる33,643得点をはじめ、数々の偉業を達成し、レガシーを遺しました。
偉大なレジェンドの、あまりにも突然かつ悲痛な死に言葉を出すのもやっとですが、せめて、ここではブライアントがNBAで魅せてきたキャリアのハイライトや、偉業を振り返りましょう。
NBA『デビュー』
NBAドラフトでシャーロット・ホーネッツが全体13位でブライアントを指名した後、彼はレイカーズへトレードされました。
1996年11月3日にデビュー戦を迎え、その試合は6分間でフィールドゴール1本中0本成功の無得点に終わったものの、当時では18歳と72日で史上最年少となるNBAデビューを果たしました。
『王朝』の始まり
2000年6月4日に行われた、ポートランド・トレイルブレイザーズとのウェスタン・カンファレンス決勝第7戦――。
ブライアントはシャキール・オニールと共に最大16点のビハインドをひっくり返し、チームを勝利に導きました。
ブライアントの”王朝”の幕開けを告げるに相応しい試合だったと言えるでしょう。
18 years ago today, Kobe & Shaq put a nail in the Blazers' coffin with this alley-oop dunk.
Have you ever noticed how funny Tyronn Lue was after the dunk? Shaq was pointing at his family in the crowd and Lue jumped up and gave him a high five! pic.twitter.com/ScgrNpfCsq
— Ballislife.com (@Ballislife) June 5, 2018
キャリア最初の『NBAファイナル』
ブレイザーズ戦で印象的な盛り返しを見せた数週間後、ブライアントはキャリア最初のNBAファイナルでインディアナ・ペイサーズと対戦し、5度のうちの最初の優勝を経験しました。
史上最年少『30,000』得点到達
2012年12月7日に行われたニューオーリンズ・ホーネッツ戦――ブライアントは前半にジャンプショットを沈め、NBA史上最年少となる通算30,000得点に到達しました。
相手チームの総得点を『上回っていた』
ブライアントが自身の1試合の最多得点記録を確立する1ヶ月前――2005年12月20日のダラス・マーベリックス戦で、ブライアントはとんでもない記録を叩き出していました。
第3クォーターが終わった時、マーベリックスが計61得点を記録していたのに対し、ブライアントは一人で62得点を記録していたのです。
1試合『81』得点
2006年1月22日のトロント・ラプターズ戦――ブライアントはフィールドゴールを46本中28本成功、フリースローを20本中18本成功させ、1試合で81得点を記録しました。
これは1962年にウィルト・チェンバレンが記録した1試合100得点に次ぐ歴代2位の記録であり、今なおブライアントの記録は破られていません。
史上最年少での『オールスターゲーム先発』
キャリア2年目を迎えた1998年に、ブライアントはオールスターの先発に選ばれました。
19歳と170日でのオールスター先発は、史上最年少です。
4試合連続『50』得点以上
2007年3月、ブライアントはブレイザーズ戦で65得点を記録すると、立て続けにミネソタ・ティンバーウルブズ戦で50得点、メンフィス・グリズリーズ戦で60得点、オクラホマシティ・ホーネッツ戦で50得点を記録しました。
オールスター出場回数『15』回
ブライアントの15回のオールスター出場は、カリーム・アブドゥル・ジャバーの18回に次いで、ティム・ダンカンと並んで歴代2番目に多い数字です。
オールNBA1stチーム選出回数『11』回
ブライアントの11回のオールNBA1stチーム選出は、レブロン・ジェームズの12回に次いで歴代2番目に多い数字です。
オリンピックでの『第4クォーター』
2008年のオリンピック――決勝のスペイン戦で金メダル獲得のために一役買ったのは、カーメロ・アンソニーでも、ドウェイン・ウェイドでも、クリス・ポールでも、レブロン・ジェームズでもなく、当時のアメリカ代表で最年長だったブライアントでした。
ブライアントは第4クォーターだけで、20得点のうち13得点を記録したのです。
また、ブライアントは2012年のオリンピックでも金メダルを獲得しました。
『アキレス腱断裂』しながらもフリースロー成功
2013年4月12日のゴールデンステイト・ウォリアーズ戦――ブライアントはアキレス腱断裂に苦しみながらも、コートを離れる前にフリースローラインに立ち、2本のフリースローを成功させました。
レイカーズは118-116で接戦を制し、ブライアントはこの試合で34得点を記録していました。
記憶に残る『引退試合』
2016年4月12日に行われたユタ・ジャズ戦は、ブライアントの引退試合でもあり、全てのNBAファンの記憶に残った試合となったことでしょう。
ブライアントはフィールドゴールを50本中22本成功させて60得点を記録し、チームを逆転勝利に導きました。
ブライアントが送った『リスペクト』
ヘリコプター墜落事故が報じられる前日の夜――自身の通算得点をレブロン・ジェームズが抜いたことについて、ブライアントはTwitter上でジェームズにリスペクトを送りました。
これからもバスケットボールを進化させ続けてくれ。ブラザーに多大な敬意を
Continuing to move the game forward @KingJames. Much respect my brother 💪🏾 #33644
— Kobe Bryant (@kobebryant) January 26, 2020
ブライアント亡きこれからも、彼の偉業や、レガシーを後世に伝えていきたいものです。
NBAにとって、ブライアントは永遠に必要な存在であり続けるでしょう。
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