考察

史上最も物議を醸した5人のシーズンMVP

1980年以降、NBAのシーズンMVPは選ばれたメディアメンバーの投じた票によって決定してきました。

しかし、メディアは投票において客観的であるべきだと考えられていますが、それはファンの意見を忠実に示したものとは限らないため、結果的にシーズンMVPについて賛否が分かれることもあります。

MVP受賞者の個人成績とチーム成績のどちらか一方が十分でない場合や、それ以上にMVPに相応しい選手が別にいる場合などは、特に論争が起きやすいとも言えます。

ということで、ここでは1980年以降最も物議を醸した5人のシーズンMVPを見ていくことにしましょう。

1981-82シーズン:モーゼス・マローン

確かに1980年代初頭のモーゼス・マローンはリーグ最高のセンターの一人であり、実際に1981-82シーズンでも平均31.1得点、14.7リバウンドと支配的なスタッツを残していましたが、彼の在籍するヒューストン・ロケッツは決してそうではありませんでした。

このシーズンのロケッツは、46勝36敗で第6シードとしてなんとかプレイオフに滑り込んだ(当時の各カンファレンスの上位6チームまでがプレイオフに進出)ものの、プレイオフではファーストラウンドで敗退するほどであったためです。

一方でイースタン・カンファレンスには、MVPに相応しい別の選手――ボストン・セルティックスでキャリア3年目を過ごすラリー・バードがいました。

バードはシーズン平均22.9得点、10.9リバウンド、5.8アシストを記録しただけでなく、セルティックスを63勝19敗とリーグ最高勝率にも導きました。

セルティックスには優れた選手が在籍し、それがバードのプレイを楽にさせた一方で、マローンの毎試合の努力は印象的に映ったかもしれませんが、それでも17勝の差を無視するわけにもいかなかったでしょう。

単にマローンがMVPを受賞したならまだしも、投票ではマローンとバードに101ポイントもの差があったことから、この選出は余計に物議を醸すことになりました。

バードのエナジーやプレイスタイルは、チームメイトやファンにも伝染していきましたが、メディアは若い選手にMVPの称号を与えたくなかったのかもしれません。

1989-90シーズン:マジック・ジョンソン

1989-90シーズンのマジック・ジョンソンは、一見するとMVPに相応しいシーズンを過ごしたように思えますが、2つの問題が存在していました。

一つは、シーズン平均22.3得点、6.6リバウンド、11.5アシストというスタッツは、前年に自身がMVPを受賞した時のスタッツと比較すると、いずれもやや下がっているという点です。

もう一つは、前年にカリーム・アブドゥル・ジャバーが引退した後でも、ロサンゼルス・レイカーズをシーズン63勝(前年より6勝減ったのみ)に導いたものの、当時のロスターにはジェームズ・ウォージーやバイロン・スコット、AC・グリーンという生産的な選手が含まれていたという点です。

一方で、フィラデルフィア・76ersのチャールズ・バークレーは、レイカーズに匹敵するような選手がいない中でもディフェンス面を中心にチームを牽引し、53勝29敗でイースト2位に導きました。

バークレーは個人としてもシーズン平均25.2得点、11.5リバウンド、3.9アシストを記録しただけでなく、チームの中心選手でありながらフィールドゴール成功率60.0%という印象的なスタッツも残していました。

シカゴ・ブルズのマイケル・ジョーダンもまた、MVP候補の一人であり、彼はシーズン平均33.6得点、2.8スティールを記録しつつ、チームをイースト3位の55勝27敗に導きました。

投票ではバークレーの1位票が増加し、ジョンソンの総票が減少したことから、多くの人がバークレーやジョーダンもMVPに値すると認めつつあったことも相まって、このシーズンのMVPは物議を醸すこととなっています。

また、この投票結果からメディアがレイカーズやジョンソンに少しばかり執着しているという見方も強まりました。

とはいえ、バークレーもジョーダンも後にMVPを勝ち取ることになっています。



1998-99シーズン:カール・マローン

1998-99シーズンはロックアウトの影響でレギュラーシーズンが50試合に短縮されたこともあり、非常に奇妙なシーズンであったとも言えますが、その中でのMVP争いはユタ・ジャズのカール・マローン、サンアントニオ・スパーズのティム・ダンカン、マイアミ・ヒートのアロンゾ・モーニングの三つ巴となりました。

3人全員がオールNBA、オールディフェンシブ1stチーム選出、シーズン平均20得点、10リバウンド以上を記録し、ジャズとスパーズは37勝13敗でイーストの首位と2位に立ち、ヒートは33勝17敗でウェストの首位となったため、論争を呼び起こすにはこれ以上ない機会だったと言えるでしょう。

結局、メディアは35歳のマローンに最も多くの1位票を投じ、1996-97シーズン以来2度目となるMVPを彼に与えました。

2000-01シーズン:ティム・ダンカン

ティム・ダンカンが同世代の中で最高の選手の一人であることは間違いなく、彼は2002年と2003年に2年連続のMVP受賞を果たしましたが、決してそこに議論の余地が無かったわけでもありません。

特に2000-01シーズンは、小規模な市場であるサクラメント・キングスを61勝21敗のリーグ最高勝率に導いたクリス・ウェバーから、6月に3連覇を成し遂げたロサンゼルス・レイカーズのシャキール・オニール、ドアマットチームであったニュージャージー・ネッツを移籍によって変貌させたジェイソン・キッドなど、錚々たる候補者が揃っていました。

確かにダンカンはシーズン平均25.5得点、12.7リバウンド、3.7アシストという素晴らしいスタッツを残し、スパーズも最終的に優勝を果たしましたが、当時のスパーズはベテランも若いタレントも揃っており、どこよりも層の厚いチームであったため、ダンカンが受けた恩恵も非常に大きなものがあったでしょう。

ウェバーやキッドが成し遂げた功績も、別のシーズンであれば誰もが太刀打ちできないと理解できるほど素晴らしかったことから、必ずしもダンカンだけが勝者とは見られなかったということです。

2004-05シーズン:スティーブ・ナッシュ

2004-05シーズン以降、NBAは”ハンドチェック・ルール”を廃止し、ディフェンダーはオフェンスの選手の手や腕に接触するとファウルを取られるようになったため、ボールハンドリング力に長けた選手が爆発的に活躍するようになりました。

そしてフェニックス・サンズのスティーブ・ナッシュはその恩恵を大きく受けたことにより、結果的に2004-05シーズンのMVPを受賞しました。

新鮮で速いペースでのプレイを発展させ、前シーズンに29勝53敗に終わっていたサンズを一気にリーグのトップチームへ変貌させたこと、シーズン平均15.5得点、11.5アシストを記録したこと、さらに極めて優れたシューターの証である50-40-90も達成したことを考えると、確かにナッシュはMVPに値する選手だと言えるでしょう。



一方で別のMVP候補は、ロサンゼルス・レイカーズからマイアミ・ヒートにトレードされたシャキール・オニールでした。

彼にとって厄介であったのは、シーズン平均22.9得点、10.4リバウンド、2.3ブロック、フィールドゴール成功率60.1%と素晴らしいスタッツを残しながらも、自身が過去10年以上に渡って支配的であったことをメディアやファンが経験していたことであり、それに比べると劣っていたり、下降線を辿っていると思われていました。

それでも、そのような中でヒートを前年よりも17勝増やしたことによって、オニールのMVPを信じる人も決して少なくありませんでした。

実際に投票結果は僅差でしたが、やはりナッシュの新鮮さや驚くべき成功が決め手となったのでしょう。

そのため、今でもオニールは自身のMVP受賞が1999-2000シーズンの一度しかないのは、メディアがナッシュを支持したせいで奪われたためとぼやいています。

とはいえ、オニールはそのシーズンでナッシュには無いもの――チャンピオンリングを獲得することができました。

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