NBAの歴代通算得点の記録保持者は、マイケル・ジョーダンでも、コービー・ブライアントでも、ウィルト・チェンバレンでもありません。

 

1970年代と1980年代の20年間に、常に得点を量産し続けた男が居るのを、ご存知でしょうか。

 

彼の名は、カリーム・アブドゥル・ジャバー

 

アラビア語で「カリーム」は”尊い”、「アブドゥル・ジャバー」は”偉大な者(神)の僕”を示すと言われるほど仰々しい名前の選手ですが、彼の実績はその名に恥じない者でした。

 

ということで今回は、カリーム・アブドゥル・ジャバーの歴史を振り返っていくことにしましょう。

 

カリーム・アブドゥル・ジャバー(Kareem Abdul-Jabbar)

(引用元:movietvtechgeeks.com)

アメリカ合衆国
出身 UCLA
ドラフト 1969年 1位
所属チーム 1969-1975 ミルウォーキー・バックス

1975-1989 ロサンゼルス・レイカーズ

ポジション C(センター)
身長 218cm

 

必殺のスカイフック

カリーム・アブドゥル・ジャバーと聞いて最初に思い浮かべるプレイと言えば、間違いなく必殺の”スカイフック”でしょう。

 

通常のフックシュートよりも高い弾道で放たれるフックシュートは、ディフェンスが止めるのが非常に困難である一方で、高い精度で決めるのも至難の業でありました。

 

現代NBAでスカイフックがあまり見られないのが、その難しさを物語っていると言っても過言ではありません。

 

しかしそれを極めようものなら、高い身体能力を必要としない分、キャリア晩年まで通用する武器となり得ます。

 

事実、アブドゥル・ジャバーは左右の手でスカイフックを決められるだけの技術力を持ち、結果的に20年間でNBA歴代通算最多得点王に輝きました。

 

彼のスカイフックは、現代NBAでも100%通用するほどに洗練されていたと言ってもいいほどです。

 

▼カリーム・アブドゥル・ジャバーのスカイフック!▼

 

得点だけが彼の全てではない

アブドゥル・ジャバーの歴代通算最多得点王という記録は、それだけで強烈なインパクトを放っていますが、それだけで彼を語れるほど甘い選手ではありません。

 

バックス時代に1度、レイカーズ時代に5度の、計6度のNBAチャンピオンに輝いています。

 

6度のシーズンMVPと、2度のファイナルMVPを受賞しています。

 

オールNBAチームには15回選出(1st:10回、2nd:5回)され、オールディフェンシブチームにも11回選出(1st:5回、2nd:6回)されています。

 

20年間のキャリアの中で、オールスターゲームに19回も出場しているのは、驚異的としか言いようが無いですね。

 

それだけアブドゥル・ジャバーは、長年に渡って第一線で活躍してきた選手ということが分かります。

 


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リーグの第一線を走り続けた20年間

(引用元:sports.yahoo.com)

カリーム・アブドゥル・ジャバーは、20年間でミルウォーキー・バックスとロサンゼルス・レイカーズの2チームに所属しました。

 

そしてもちろん、どちらでもスーパースター級の能力を維持し続けています。

 

レジェンドの歩んだ軌跡を、見ていくことにしましょう。

 

支配的なバスケットで栄冠をもたらしたバックス時代

1969年のNBAドラフトでバックスに全体1位指名されたアブドゥル・ジャバーは、ルーキーシーズンから支配的なバスケットボールでチームを引っ張ります。

 

効果はテキメンで、前年27勝に沈んだチームを56勝まで押し上げ、一気に強豪の仲間入りを果たすとともに、個人としても新人王を受賞しました。

 

翌年の1970-71シーズンには、新たにチームに加わったオスカー・ロバートソンとともにチームの勝利数をさらに増やし、プレイオフでも無類の強さを発揮、2年目にして早くも初のNBAチャンピオンに輝きました。

 

また、自身初のシーズンMVP、ファイナルMVPも受賞しています。

 

1971-72シーズンはNBAチャンピオンにこそなれなかったものの、2年連続の得点王とシーズンMVPに輝きます。

 

以降もバックスで素晴らしい成績を残し続けますが、チャンピオンリングに手が届くことはなく、1975年にロサンゼルスかニューヨークへの移籍を希望し、それをGMが承諾したことによって、アブドゥル・ジャバーはバックスを去ることとなりました。

 


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全盛期を過ごしたレイカーズ時代

レイカーズ入団後の数年間でアブドゥル・ジャバーはシーズンMVPこそ獲得していたものの、チームをNBAチャンピオンに導くことはできていませんでした。

 

転機が訪れたのは、1979年のNBAドラフト・・・

 

この年、レイカーズはユタ・ジャズとのトレードで手に入れた全体1位指名権でマジック・ジョンソンを獲得しました。

 

するとレイカーズは再びリーグ屈指の強豪に返り咲き、10年間で9度のディビジョン優勝、さらにNBAチャンピオンにも5度輝く(1980年、1982年、1985年、1987年、1988年)という驚異の強さを発揮しました。

 

その間にアブドゥル・ジャバーはベテランの領域に入っていましたが、必殺の”スカイフック”を武器に1984年にはウィルト・チェンバレンが保持していた通算得点で歴代1位に躍り出るだけでなく、1985-86シーズンまで全てのシーズンで平均20得点以上を記録するなど、常に衰えを感じさせないプレイを発揮し続けました。

 

そして42歳を迎えた1988-89シーズン開幕前、アブドゥル・ジャバーはこのシーズンを最後に現役引退することを表明し、キャリア最低の平均得点、シュート率、逃した3連覇の夢とともに選手生活から身を引きました。

 

その他

現役時代に着用していた背番号「33」は、引退後に永久欠番となっています。

 

長いシーズンを過ごすにあたって身体能力や健康面の維持に非常に力を入れ、チームメイトのマジック・ジョンソン曰く「カリームこそ最も美しいアスリートだ。」と語るほどだったようです。

 

 

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