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マイケル・ジョーダンの最初の助言を”侮辱”として受け取っていたコービー・ブライアント

NBAレジェンドの故コービー・ブライアントの現役時代のプレイスタイルが、”バスケットボールの神様”と評されたマイケル・ジョーダンを模倣していたことは広く知られている事実です。ブライアントは自身がどれだけジョーダンの影響を強く受けたか、2016年にも語っていました。

「イタリアで育った幼少時代はビデオしか持っていなかったから、それだけで全ての選手を観て学んだ。それからアメリカに戻った時、自分が6フィート9インチ(約205cm)の選手になれないことに気付いたから、マイケルだけを学ぶことにしたんだ」

「僕がNBAに入った後、彼はメンターの役割を引き受けることに非常にオープンで、多くのアドバイスや驚くべき量のディテール、戦略、練習の計画などを教えてくれた。正直に言うと、彼が選手として、リーダーとして僕に与えた衝撃の大きさを、人々が理解できるとは思えない」

ブライアントはジョーダンが多くの経験、知識、スキルを授けてくれたことに感謝していました。しかし初めてジョーダンから助言を貰った時、ブライアントの反応は全く異なるものだったようです。

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それは1998年のオールスターゲームの時のことでした。当時キャリア13年目、35歳で自身6度目の優勝を目指していたジョーダンは、NBA史上最年少でオールスター出場を果たしたブライアントに助言しようとしました。『Los Angeles Times』のJA・アダンデ記者が、その時に何が起きたかを語っています。

「一つ印象に残っているのは、1998年のオールスターゲームでマイケルが彼(ブライアント)に”アグレッシブな姿勢を忘れるな”と言ったことだ」

「最初、コービーは”アグレッシブでいるとはどういう意味だ?自分は当然アグレッシブでいるつもりだ”と返した。マイケルがそれを言う必要性があったことに、コービーは侮辱だと感じていたのだ」

若かったブライアントは、経験豊富なジョーダンの言葉をすぐに理解することになりました。アダンデ記者は続けて語ります。

「シーズン後半になると、5日間で3都市を巡り、3試合をすることになった。疲労困憊の中でアリーナに向かうことになる。それによってコービーは彼が言っていたことの意味を理解した。そのような状況でも、アグレッシブでいなければならないということだ」

ジョーダンの最初の助言は、ブライアントが将来的に偉大な選手になるために間違いなく重要な役割を果たしていたと言えるでしょう。ブライアントがジョーダンの真意に気付かなければ、ジョーダンが今後彼に多くの助言を与えることも、彼を認めることもなかったかもしれません。

昨年2月にステイプルズ・センターで行われたブライアントの追悼式で、ジョーダンは涙を流しながら弔辞を述べました。

「コービーと私が親しい友人であったことに人々は驚いたでしょう。しかし、我々は非常に仲の良い友人でした。コービーは私の親友でした。彼を弟のように思っていました」

アダンデ記者は、ジョーダンがブライアントの死をどれだけ痛ましく思っているのか語りました。

「マイケルがあれほど感情的に話すのを見たことがない。ただただ素晴らしかった。…(ブライアントの死が)自分をどのように変えるのか、どのようにしてより良い人間になるのか話していた。マイケルがそんなに哲学的な言葉を口に出すのは聞いたことがないだろう」

「積極的な姿勢」はブライアントの遺産の一つです。その遺産は、今のNBA選手にも間違いなく受け継がれているでしょう。

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