トピックス

コービー・ブライアントがトニー・パーカーについて「私がもっと多くの優勝を成し遂げられなかったのは彼のせい」

サンアントニオ・スパーズのレジェンドであるトニー・パーカーは最近、自身の新たなドキュメンタリー『Tony Parker: The Final Shot』をリリースしました。このドキュメンタリーはネットフリックスで配信されており、スパーズで成し遂げた4度の優勝を含めたパーカーの功績を追体験することができます。

その中でも最も印象的なシーンの一つは、2020年1月にヘリコプターの墜落事故によってこの世を去ったNBAレジェンド、コービー・ブライアントがパーカーとの対戦について語ったことでした。ブライアントはパーカーをライバルとして認めていました。

「私の名前はコービー・ブライアント。何年にも渡ってトニーと対戦してきた者だ。何年も、何年も、何年も――。私がもっと多くの優勝を成し遂げられなかったのは彼のせいだ」

ブライアントはロサンゼルス・レイカーズの”顔”として、特に2000年代のNBAを支配してきました。しかし、パーカーが2001年のNBAドラフトでスパーズに全体28位で指名されて以降、ブライアントとレイカーズは9年間で3度(2002年、2009年、2010年)の優勝を成し遂げたのに対し、パーカーとスパーズも同期間で3度(2003年、2005年、2007年)の優勝を成し遂げているのです。

ブライアントは、どのようにしてパーカーを選手として高めていったのかを語りました。

「トニーが簡単にベンチに下げられる可能性があった試合を覚えているよ。1つのミスを犯すだけで、ポップ(スパーズのグレッグ・ポポビッチHC)は彼をベンチに下げる。だから私はトニーに対して、”俺はお前にトラップを仕掛ける。ターンオーバーをすれば下げられるぞ”と言ってやった。だけど、そういったプレッシャーや環境を味わったことで、トニーは重要な局面でプレイできるようになったのだと思う」

実際、パーカーの強気なプレイスタイルは幾度となくチームの危機を救ってきました。今は亡きレジェンドの言葉によって、我々はパーカーやティム・ダンカン、マヌ・ジノビリらが居た頃のスパーズがどれだけ優れたチームであったかを思い出すことができます。

合わせて読みたい
トニー・パーカーが語る”究極の目標”

『ステフィン・カリー 努力、努力、努力 自分を証明できるのは、自分だけ』

  • 原著:Marcus Thompson,2
  • 著:マーカス トンプソン,2
  • 翻訳:東山 真

歴代最高のシューターとして謳われる、ステフィン・カリーの人生にフォーカスした待望の評伝の日本語版!

ウォリアーズファンはもちろん、全てのNBAファンにオススメの一冊です!

Amazon

楽天ブックス

Yahoo!ショッピング

-トピックス
-,

© 2024 NBA TOPICS