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レブロン・ジェームズがコービー・ブライアントとの初対戦を思い返す「ただただ畏敬の念を抱いていた」

今のNBAでは高校卒業後から1年経過しなければドラフトに参加することができませんが、以前は極めて有望な選手であれば高校卒業後すぐにNBA選手になるという道もありました。ロサンゼルス・レイカーズのレジェンド、故コービー・ブライアントはその一人です。彼はローワー・メリオン高を卒業後、1996年のNBAドラフトでロサンゼルス・レイカーズに全体13位で指名されました。

その後のブライアントの活躍は知っての通りで、それは彼のあとに続く多くの若い選手たちにも影響を与えました。昨年、自身4度目の優勝を成し遂げたレイカーズのレブロン・ジェームズがそうです。彼はセント・ビンセント=セント・メアリー高を卒業後、2003年のNBAドラフトでクリーブランド・キャバリアーズに全体1位で指名されました。

ブライアントも、ジェームズも、NBAの歴史を語る上で決して忘れることができない存在となりました。幸運なことに、我々は両者の対決を何度も観ることができました。その中でも、2004年の初対戦はジェームズにとって特に印象深く残っているようです。『Lakers Daily』のライアン・ワード記者によれば、ジェームズは当時のブライアントと対峙した時の状況について次のように語りました。

「ただただ畏敬の念を抱いていたよ。他の選手と同じように、(ブライアントは)自分の部屋の壁に飾るような選手。僕の部屋も彼によって素晴らしくコラージュされていたからね」

残念ながら、この試合ではブライアントのポンプフェイクにジェームズが引っかかったことによって、ブライアントが右肩を負傷するというアクシデントに見舞われ、途中交代となってしまいました。それでも、彼らは数年後に良好な関係を取り戻しました。

基本的にジェームズは対戦で優位に立っていましたが、彼がブライアントから何年も学んだインスピレーションを失うことはありませんでした。ジェームズはブライアントから新たなアプローチを学び続け、彼が亡くなった後も日々インスピレーションを得続けています。

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