30歳のフリーエージェントであるジェレミー・リンは、自身のNBAでのキャリアが終わるかもしれないという考えを抱いています。
先日、台湾でのイベントに出演した際、リンは次のように語りました。
「どん底が、僕をさらにどん底へ導いているようだ。フリーエージェントはとても厳しい。ある意味、NBAが僕を見捨てたようなものだよ」
昨季、トロント・ラプターズで優勝を果たした選手の言葉のようには聞こえませんが、リンの出場時間が極めて少なかったことを考えると、彼の言葉は理解出来ないわけではありません。
”リンサニティ(Lin + insanity[狂気、狂ったような]の造語)”――それがリンの全ての始まりでした。
2011年も終わろうとしている頃、ゴールデンステイト・ウォリアーズを解雇されたリンはニューヨーク・ニックスと契約し、NBAのDリーグ(現在のGリーグ)でプレイを重ねた後、故障者の影響によりチームのラインナップに組み込まれました。
そして、そこで信じられないような出来事が起こります。
ニックスがリンをポイントガードとして起用した最初の7試合を全勝し、彼は最初の5試合だけで136得点を記録しました。
2012年のオールスターブレイク前の直近12試合で、リンを先発起用していたニックスは9勝3敗を挙げていたのです。
それは一種の社会現象のようなものであり、リンは『Sports Illustrated』の表紙を2週間続けて飾りました。
NBA史上4人目のアジア系アメリカ人選手としての成功は、心に強く訴えかけるものがあったことでしょう。
しかし、”リンサニティ”が長く続くことはありませんでした。
リンはNBAでスターの階段を上り、自身の地位を確立することを望んでいたかもしれませんが、それが起きることは無かったのです。
輝きが期待された2011-12シーズンは、左ひざの負傷で離脱を余儀なくされ、ニックスはプレイオフのファーストラウンドで敗れることになりました。
その年の夏、ニックスはより多くの金額を提示したヒューストン・ロケッツにリンを去らせることを決断しましたが、それから今に至るまで、リンは8つのチームを経由してフリーエージェントとなっています。
ジャーニーマンとして定義されたリンがラプターズに加わった時、既に彼が十分な出場時間を与えられることが無いのは明白でした。
一見すると、リンのキャリアは失敗のようにも思えますが、”リンサニティ”は簡単に引き起こせるものなのでしょうか?
リンは最高の選手の一人になることはありませんでしたが、彼はそもそもドラフト指名もされず、這い上がってきた選手です。
キャリア初期からNBAでプレイ出来ないかもしれないという縁に立たされながら、9シーズンもNBAに留まり続けてきた優秀な選手です。
6,500万ドルを稼ぎ、世界中に”リンサニティ”を広め、NBAチャンピオンに輝いた史上初のアジア系アメリカ人選手なのです。
彼の物語は、NBAの歴史の中で注目すべきことに値するのではないでしょうか?
NBAに限らず、プロスポーツは確かに厳しい現実があります。
どれだけバスケットボールを愛していても、NBAでプレイさせてもらえなくなることもあり、それに目を向けるとなれば尚更辛いことでしょう。
しかし、リンのキャリアが終わったと呼ぶには早すぎます。
彼がNBAでプレイすることを望めば、ベンチから起用されるベテラン選手として、どこかのチームが獲得に動くかもしれません。
それはリンのキャリアにとって最も魅力的なことではありませんが、ビジネスの世界でそれを受け入れるのは合理的な判断です。
おそらく”リンサニティ”は二度と起きないでしょう。
しかし、そのような出来事を起こせる選手でさえ、ほんの一握りしか居ないという誇りを忘れてはなりません。