ドキュメンタリー制作にブレーキをかけたマイケル・ジョーダンの2度目の復帰

マイケル・ジョーダン擁するシカゴ・ブルズが最後に優勝した1997-98シーズンを振り返るドキュメンタリー番組『ザ・ラストダンス』は称賛を浴びていますが、このドキュメンタリーを制作するにあたって厄介な問題もあった…という裏話もあるようです。



ゴールデンステート・ウォリアーズのクレイ・トンプソンの叔父にあたり、『ザ・ラストダンス』の制作にも携わったアンディ・トンプソンは、『The Athletic』のポッドキャスト「Tampering」に出演し、ドキュメンタリー制作の苦労について語っています。

トンプソンは、2000年に行ったジョーダンと3時間に及ぶインタビューを含んだドキュメンタリーを制作していましたが、その途中――2001年にジョーダンがワシントン・ウィザーズに2度目の現役復帰を果たしたことにより、もっと早く公開できるはずであったドキュメンタリーが、公開できなくなったと言いました。

「我々の計画が台無しさ。制作してきたもの全てを捨て、2年間再び彼の跡を追っていかなければならないんだからね。2001年から2003年の間、私は再びマイケルの跡を追ってワシントンに来たんだ」

さらに、厄介なことはそれだけではありませんでした。

ジョーダンは2001年から2003年までウィザーズで過ごし、その後に正真正銘の現役引退を発表しましたが、彼がウィザーズで過ごした時間は、ドキュメンタリーにするには決して良いものとは呼べなかったからです。

「その後のストーリーは知っての通りさ。彼は一度もプレイオフに進出できなかった。引退したこと、プレイオフに進出できなかったこと、ドキュメンタリーの話に一切関わりたくなかったことを含め、後味の悪さを残したんだ」

結局、『ザ・ラストダンス』は1997-98シーズンの出来事から20年以上が経ってから公開されましたが、ジョーダンが2度目の現役復帰を宣言していなかった場合、もっと早くに公開されていたのかもしれません。

トンプソンは、ジョーダンと会うたびに皮肉の言葉をかけていたことも明かしました。

「現役引退をしたのが2003年だ。1998年から5年も経っている。最終的には(2006年にシャーロット・ホーネッツの)オーナー権まで持つようになった。だから、私はマイケルと会うたびにこう言っていたよ。”なあ、いつになったらこのドキュメンタリーが制作できるんだ?”ってね」

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